古代・万葉の「藻塩(もしお)焼き製法」が生んだ「海人の藻塩」(あまびとのもしお) 「藻塩(もしお)焼き」は、塩田による塩づくりが始まる以前に行われていた海藻を使った製塩法で、いわゆる日本における塩作りの原点です。

温暖な気候に恵まれた瀬戸内は、古く平安時代から塩田を使った製塩が盛んな土地柄ですが、じつはそれよりずっと昔の古墳時代から、日本の塩づくりの原点とも呼ばれる製塩法「藻塩焼き」がありました。

それが盛んに行われていたのが瀬戸内に浮かぶ上蒲刈島の南西部で、現在そこは「県民の浜」となり、日本の渚百選に選ばれるほど白砂青松の美しさが際立つ浜辺です。

藻塩とは、かつて玉藻と呼ばれていたホンダワラなどの海藻を使用してつくった塩のことで、辛さに尖ったところがなく、口あたりはたいへんまろやか。

色は淡いベージュで海水と海藻だけの旨味が凝縮した「藻塩」の味わい。
私たちの祖先は、こんなにも繊細で心にしみ入るような味覚を楽しんでいたのかと、千年の時を超えて何かしら誇れるような嬉しささえ、感じさせてくれます。

それは今から20年以上も前の1984年、広島県安芸郡蒲刈町(現・呉市蒲刈町)の県民の浜造成工事中に発見された古墳時代の製塩土器が、藻塩研究のきっかけになり「藻塩の会」が発足。製塩土器の発見者である同町の文化財保護委員長で、30年にわたり考古学の研究を続けてきた故松浦宣秀さんを中心に、その製塩法の研究がはじまりました。

しかし、その解明までの道のりは遠く険しいものでした。なにしろ製塩土器が見つかったものの、歴史家に製塩法を訊ねても「わからない」のひと言。そもそも塩の作り方を伝える古文書すらなかったのです。

暗中模索のうちに、松浦さんは”朝凪に玉藻かりつつ夕凪に藻塩焼きつつ”など、「藻塩」という言葉が万葉集に詠まれている海や塩の歌にいくつか登場することに着目し、「玉藻」という言葉から玉の付いた藻、つまりホンダワラに辿り着いたのです。

10 年余りの歳月が費やされ、とうとう確立できた藻塩の製法は、海水に浸したホンダワラを乾燥させるという工程を繰り返して塩分濃度を高めた「かん水」をつくり、土器で煮詰めて塩を採るというもの。 この古代土器製塩法は、全国の考古学関係者や塩づくりの権威者を招いて開催された「古代の塩づくりシンポジウム」によって考古学会からも認められ、さらに大きな注目を集めました。 この製法を基に海の恵みを結晶させた古くて新しいお塩、『海人の藻塩』の誕生の瞬間でもありました。

先人の知恵、味を現代に伝承したい・・・『海人の藻塩』が1000年ぶりに新発売

アマビトやアマと発音される「海人」は、古代、海で魚や貝を取り、「藻を焼いて製塩すること」を生業とした者の呼び名で、古く万葉集などの文献に多く見受けられます。製塩土器が発掘された上蒲刈島の浜辺では、古代、海人たちが藻塩をつくる姿が日常の光景であったことでしょう。

藻塩の会が復活させた藻塩を口に含んだ瞬間、「こんなおいしいお塩が古代にあったのか・・・」と誰もがそう感じていました。1998年7月、藻塩づくりを通して先人の知恵、味を現代に伝承したい、との想いから、地元の方々から多大なご尽力を頂き、広島県安芸郡蒲刈町(現、広島県呉市)と朋和商事蠅第三セクターにて蒲刈物産蠅鮴瀘。製塩土器が発掘されたその浜辺に製塩工場『海人の館』を落成し、藻塩づくりがはじまりました。その藻塩は海からの恵みを丹精尽くして塩につくり上げた祖先に感謝と憧憬の念を込め、海人の二文字を冠して『海人の藻塩』と名付けられました。この上蒲刈島の浜辺を1000年ぶりに藻塩作りの郷とするために、当時の人々と同じ気持ちを込め衛生的な設備でつくられる『海人の藻塩』。その手間ひまを重ねた製塩方法を当HPの『工場見学』にてご覧頂けます。